第 7 回研究大会基調講演と討論

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■基調講演

沖縄を学びなおす ――デジタルアーカイブに何ができるか
吉見俊哉氏 (デジタルアーカイブ学会会長、東京大学教授)

今は亡き屋嘉比収は、彼の遺作となった『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』(世織書房、2009年)で、沖縄戦を記憶することの当事者性をめぐりアーカイブの根幹にかかわる思考を展開している。彼はまず、体験者とは異なる世代が沖縄戦の記憶を〈共有し分かち合う〉とはいかなる出来事なのかという問いを立ち上げる。第2に彼は、「出自」ではなく「多様な経験の束」としての「沖縄人」にいかにして〈なる〉かを考える。第3に彼は、沖縄戦や米軍占領という「大きな物語」に対する家族史や個人史という「小さな物語」を注視する。これらを基軸に彼は、戦後、市町村史で沖縄戦体験記録集の編纂が始まり、沖縄戦のマスターナラティブが形成されていった時代、地元出身の若者たちの〈学び〉の実践として戦争体験の聞き取りがなされていった動き、そして、「島クトゥバで語る戦世」プロジェクトに代表されるように、体験者が「島クトゥバ」で語る様子を映像で記録し、アーカイブ化するようになっていった動きへの展開をたどる。屋嘉比が考えようとしたのは、こうしたアーカイビングの形式の変化が、物語=歴史の主体の位置の変化とどう結びつき、記憶の継承を条件づけてきたかだった。
屋嘉比は私と同じ1957年生まれで、私たちは1990年代から2000年代にかけて、やはり同世代の岩崎稔や成田龍一といったメンバーと共に戦争の記憶をめぐる研究プロジェクトをしていたことがある。私自身の主要な関心は沖縄戦というよりも戦後日本におけるアメリカの占領を問い返すことにあり、今もそうなのだが、屋嘉比の書名が示すように、沖縄において「沖縄戦」と「米軍占領」は連接している。そしてこれは、近現代日本における「大日本帝国」による周辺地域侵略の歴史と戦後のアメリカ化、高度経済成長の連続性を示す「連接」に他ならない。沖縄は紛れもなく、近現代日本の歴史を通貫して織りなされてきた地域と国家、土着と西洋、日常と戦争等々の輻輳するダイナミズムが逆照射される特権的な場所である。
そのような沖縄が「復帰」50年を迎え、この半世紀の意味を、デジタルの記憶という視座から問い返す試みとして本学会の沖縄大会は開催される。この記憶再生にとって、デジタルアーカイブは決定的に大きな役割を果たすはずだ。たとえば森口豁監督の『沖縄の十八歳』をはじめとするドキュメンタリーは、「復帰」という言葉に内包される虚構とゆらぎを、実際の「復帰」よりも5年以上前に抉り出していた。また沖縄は、長年にわたり沖縄戦を語り継ぐために米国公文書館等の実写記録映像を集める「1フィート運動」が展開されてきた土地である。多様な語り、実写、ドキュメンタリー形式の映像の集積は今後、どのような歴史の地平を形成していくのか? その際、屋嘉比が提起した当事者性の問題を、私たちはどのように受けとめていくべきなのか? デジタルアーカイブは、歴史を単数形から複数形へ、文字から映像へ、一方向から双方向へと技術主導で変化させるだけでなく、私たちが歴史の当事者に〈なる〉ことを促すとするならば、それはいかにしてか? この基調講演では、2日間にわたる大会での議論の導入として、屋嘉比の遺作を手掛かりに、これらの問いへの議論を触発していきたい。

■討論 新城郁夫氏

琉球大学人文社会学部 琉球アジア文化学科 教授
ジェンダー研究やポストコロニアル研究といった視点から沖縄、本土の近現代文学、思想を中心に研究。
著書に「沖縄に連なる 思想と運動が出会うところ」岩波書店、「沖縄の傷という回路」岩波書店、「沖縄を聞く」みすず書房など。

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